群馬 妙岩寺住職 長谷川俊道

 

 週末になるとお寺では、亡くなった方々の供養が行われる。いわゆる江戸時代から始まったと

される「十三仏信仰」である。一般には、初七日から三十三回忌まで13回の追善(故人に善業

をつんで送る)供養が営まれる。

 だいたい三十三回忌で個人の戒名の位牌から先祖代々のお位牌に変えたりする。では、なぜ三十三

回忌(32年)で「弔い上げ」なのか?前から疑問に思っていた。

 ある法事のときに、ふと思った。これは、その人が生きている間中忘れないということが本旨な

のではないか、と。もちろん、ご病気や戦争なので親を早くに亡くされた家族は三十七回忌や、

五十回忌をすることもしばしばある。でも、たいていは三十三回忌で終了だ。

  これは、いわば一世代の期間。大体、30歳までに結婚し子供を作る。(最近はそうではないが)

そうすると自分の親は30歳前後、祖父母は60歳前後、曾祖父母は90歳前後になる。多く

の方が自分の祖父母には会えるわけだ。

 お釈迦さまは人間の生前や死んだ後の世界について、あるともないともおっしゃらなかった。

信じることはできても照明が不可能だからだ。信じることはできても証明が不可能だからだ。

 だから、私たちは自分の「存在価値」を、生きている間に自分で納得しなければならない。

それは、あるときには「お金」であったり、「仕事」「財産」「名誉」であったりする。

「人から認められたい」というのが、人間の一番の欲求である。

 その自分の「存在価値」を「もの」で判断しない、かけがえのない関係の人たちがいる。「親」や

「祖父母」である。その他にも仕事仲間や苦楽をともにした夫婦、甲子園を目指した仲間の間にも

そういう感情が芽生えることもたまにある。

 しかし、努力しなくても「親」と「子」の間にはこの「かけがえのない関係」が知らず知らずのうちに

できている。当たり前なので気が付かないが、亡くなったときに初めて気がつく。さらにこの

関係は、親が亡くなった後も続いてもらわないと困るのである。「自分の存在価値」を無

条件で認めてくれた人たちだから。

 これが、私たち僧侶が普段から拝んでいる「魂」とか「霊」というものだと思う。そして、この

「かけがえのない霊」が32年経つとそれを必要とする人も世代交代をする。

だから三十三回忌で終了となる。

きっと、この間に「故人」と「遺族」がお互いを許し許されていくのが「供養」なんだろ

う。これは、とてもよくできた仏教の「しくみ」だなぁと最近、法事をしながら

感心している。