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お知らせ

「子の世話にならずに死にたい」の真意

「最近、自分の代で、自分で決める、といった風潮が強すぎるような気もするのですが、どう感じますか?」

子の世話にならずに死にたい (講談社現代新書)

これは、ある新聞記者が、私にコメントを求めた時の質問内容の一つである。
この記者は、親世代が終活をして「子の世話にならないように」と自分で決めている風潮を、「自分の主張が強すぎはしないか」といった、やや批判的な感想を持っていることがわかる。

最近、このような質問がよくある。そしてわかったことだが、そのように言う人たちは、自身が「子世代」の立場に立って発言しているということだ。

「自分の代で」「自分で決める」といった風潮が強いという傾向は私も認めるが、解釈が違う。そうせざるを得ない社会が訪れているからだと捉えている。
なぜ「終活」がはやるのか。それは、何も考えずに子どもに任せておけばいい時代が過ぎ去ったからだ。少子高齢社会と言われて、どれほどの月日が経ったであろう。結婚した子は親とは別の家族をつくり、核家族の最終ステージは「夫婦だけ」。配偶者がなくなれば「独居」である。そういった中で、なるべく子どもを煩わせないように準備しておかなければと思うのは、自然な流れではないか。
このような発想を可能にしたのは、年金制度の確立があったからである。日本で、国民がなんらかの公的年金制度の適用を受ける国民皆年金制度が整ったのは、国民年金制度が実施された1961年から。その前までの社会では、農業など自営業の人たちは、子からの扶養を受けざるを得なかった。

いろいろな親子関係があるので一概には言えないが、親世代の発言、子世代の発言を並べてみると、今の状況が決して悪くはないことがわかる。

A「親が、子どもの世話にならないように準備している」、「子どもはそんな親を見て、水臭い、いざとなったら自分たちは親の面倒を見ようと思っているのに、と考える」。

それが、次のような親子関係だったら、どうだろう。

B「親が、子どもにべったり頼ろうと思っている」、「子どもは親の面倒なんてみるのは御免だと思っている」

皆さんは、親子関係がBのような関係でないことに、安堵感を覚えたのではないだろうか。そして同時に、Aのような親子関係だからこそ、バランスが保てているのではないかとも感じられたのではないだろうか。

親が子を想うからこそ、なるべく面倒をかけないように自律しておいてあげたいと願うのは、個人主義や自分勝手ではなく、私は、これは「愛」だと回答している。

個人的なことだが、私が葬送の問題を考え始めたのは30歳代で、子の立場からであった。しかし、いつの間にか親世代の立場で回答している自分に、月日が経ったことを実感する。

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