樹木葬・桜葬のエンディングセンター(東京・大阪)

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お知らせ

甚平を着て旅立つ

「むずかしくなく受け取ってください」

梅雨の窓辺に、凛と伸びるパイナップルの葉

官製はがきに、筆圧によって奏でた
ブルーブラック・インクの濃淡。
それも私の好きな太字用の万年筆の文字。
そこに書かれた短文が、いつも洒落ていた。

その文字の主は、エンディングセンターがまだ
「21世紀の結縁と墓を考える会」(以下「考える会」と略す)と言っていたころからの会員・徳平さんだ。当時70歳手前で、埼玉県に住んでいた。
彼は、「考える会」が結成されてまだ1年も経っていない1991年4月に開催した、桐生市の「崇禅寺」を会場とした「こころの故里・春の宴」に参加された。
勉強会・懇親会・自然散策がある、20人余りの合宿勉強会である。
また、翌年、山梨県の秋山村で実施した、今の言葉で言うならば「樹木葬」の候補地を見に行く視察会にも参加された。
(1991年から当団体は、自然と共生しつつ、その中にお墓を作っていくことを考えていた)。
その秋山村の合宿では、徳平さんが生業としていた農業の話で花が咲き、
大きなサイズの野菜づくりにチャレンジした話で盛り上がったことを覚えている。
素朴な語りから、熱心さと勤勉さも伝わり、彼の周りには自然と輪ができていた。
 
徳平さんは、詳しい事情は話されなかったが、自分のお墓をどうするか考えている様子だった。
ときには沖縄の海が好きだとも語っていた。
まだエンディングセンターに「桜葬」墓地がないころの話である。
 
ある日、沖縄からパイナップルが届いた。送り主は徳平さんだった。
別便で、「沖縄の素晴らしい海を見てきました。ちょっとしたものを送ったので、むずかしくなく受け取ってください」という、はがきが届いた。
何を思って沖縄に行ったのだろう、と想像しながら食べた、徳平さんの想いがこもったパイナップルは、とてもおいしかった。
残った部分も捨てられず、ヘタのところから切って育ててみたら、写真のように葉が育った。
その写真を徳平さんにも送った。

そのうち「考える会」は「エンディングセンター」となり、町田市に事務所ができて活動していたころ、徳平さんの住所も変わった。
埼玉県の少し奥まった所に引っ越されたようだ。遠出が大変になり、会の活動にも参加されなくなった。
どうされているか気になり、2008年のアクティブ講座を、彼が住む近くの「秩父巡礼ウォーク」とした。
あいにく私は都合がつかず行けなかったが、徳平さんは現地で合流して、参加者と交流の時間が持てたようだ。

そして、徳平さんが「米寿」になる年の夏だった。
私は誕生日が間近い徳平さんに、「甚平」を送った。
その返事が、今でも忘れられない。
「親族でも祝ってくれることがない身に、とてもうれしかった。あの世に旅立つときは、これを身にまとって旅立ちます」と。

東京のお盆は7月です。仏教徒ではないけれど、亡き人を偲んでやみません。

 

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高槻スタッフ通信


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